法華経寺

東山魁夷記念館の帰り道、近くにある「法華経寺」にお参りしました。 日蓮聖人が開いた寺で日蓮宗の大本山。鎌倉時代の高僧日蓮聖人が最初に開いた寺で日蓮宗五大本山の一つと言われる名刹です。中山法華経寺ともよばれています。 法華経寺 仁王門・・・仁王門に掲げられている「正中山」の扁額は本阿弥光悦筆。
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祖師堂は宗祖日蓮聖人をお祀りするお堂です。
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祖師堂と荒行堂の間の渡り廊下。 比叡山延暦寺の千日回峰行と共に世界三大荒行に数えられるという中山法華経寺の荒行。日蓮宗では公開厳禁の修行がおかなわれるのが、荒行堂。 11月1日から2月10日までの寒中100日間の過酷な修行・・・今、正にその最中ですね。 過酷な修行を終えた者にのみ祈祷の修法が許され、この渡り廊下を渡るのでしょうか?
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渡り廊下の下に、和水仙がひっそりと咲いていました。
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法華経寺五重塔(国指定重要文化財) 本阿弥光室が両親の菩提を弔うために、加賀藩主前田利光公の援助を受けて建立した、弁柄塗り五重塔。
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泣き銀杏 法華経寺と道を挟んで東側に大きく聳え立つ銀杏の巨木が泣き銀杏です。
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もう少しすれば、落ち葉で真っ黄色になるでしょうね。
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日蓮聖人の第3回忌の法要の折 日頂上人という方が一向に姿をあらわしません。このお上人は日蓮上人が特別に指導者として指名された6老僧のお 一人です。日頂さまの父でもある、中山法華経寺の日常上人は、日頂さまのご到着をいまかいまかとご心配でした。 日頂さまは、鎌倉から法要に向かう途中 他宗と夜を徹しての法論 ついに他宗の僧侶たちを説き伏せ、喜び勇んで法要にはせ参じましたが、 時すでに遅し・・・。 父日常上人は、「他宗との法論はいつでもできるが、三回忌は二度とないことである。大聖人法要に姿をみせないということは日蓮聖人にたいしての最大の不義理ではないのか」とさらに叱りつけました。 日頂さまは深く反省をいたし「南無妙法蓮華経」と、銀杏の木の周りをぐるぐる回り泣きながら唱えて許しを乞いた そうです。懺悔のお題目を唱えること7日、7夜を超えそれでも許し叶わず、終に突然と日頂さまは姿を消したそうです。 その後、この銀杏の木のことを「日頂の泣き 銀杏」と呼び伝えられています。 この後も、日常・日頂親子のドラマは続くのですが、結局生涯許されることがありませんでした。
posted by 方向音痴の旅人 at 23:01Comment(6)

大本山・法華経寺

鎌倉時代に、日蓮上人が開かれた『法華経時』にお参りに行きました。 宏壮な仁王門・・・正面には本阿弥光悦筆の「正中山」の額が・・・関東三筆の一つだそうですが、上手く撮れなかったので見づらいですね。
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木漏れ日の向こうに、檜皮ぶきの屋根と、白い障子のコントラストが美しい祖師堂・・・日蓮大聖人像が安置されています。
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僧侶坊や厨、祖師堂などを繋ぐ渡り廊下・・・合図の鐘の音で僧侶たちが毎日ひたひたと渡るのでしょう。
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日蓮大聖人の像・・・・・・お隣には享保4年に鋳造された大仏様も鎮座されていました。
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五重塔(重要文化財)・・・加賀・前田公の寄進により建立。紅色が美しい五重塔です。
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小高い丘を登ると聖教殿・・・国宝 「立正安国論」 「観心本尊抄」、日蓮大聖人の多くの御真跡を保管。
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地元の人々には「法華経寺さん」と親しみを込めて呼ばれています。 春、桜が咲く頃は多くの人で賑わう境内も、今はひっそりと白萩が咲いていました。
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古井戸の上に、かりんがコロコロ。
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